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千葉地方裁判所 昭和62年(行ウ)2号 判決

千葉県松戸市和名ケ谷八二三番地一

原告

中山敏雄

右訴訟代理人弁護士

佐藤昇

千葉県松戸市小根本五三番地三

被告

松戸税務署長

有賀喜政

右指定代理人

野崎守

中川幸雄

赤穂雅之

鮫田省吾

鈴木秀良

杉山孝司

秋山友宏

主文

一  本件訴えのうち、被告が原告に対し、昭和六〇年七月九日付けでした重加算税賦課決定処分のうち二六二万五〇〇〇円を越える部分の取消しを求める部分を却下する。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和六〇年七月九日付けでした昭和五七年分の所得税の更正処分及び重加算税の賦課決定処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、原告の昭和五七年分の所得税につき、昭和六〇年七月九日付けで別表のとおりの更正処分及び重加算税の賦課決定処分(以下、「本件更正処分」及び「本件重加算税の賦課決定処分」、又は併せて「本件処分」という。)をした。

2  本件処分は違法であるので取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実は認める。

三  抗弁

1  本件処分の経緯

本件処分の経緯は次表のとおりである。

〈省略〉

2  本件処分の根拠及び適法性

(一) 本件更正処分の根拠及び適法性

(1) 本件更正処分の根拠

被告が本訴において主張する還付金の額に相当する税額及びその計算過程は次表のとおりである。

〈省略〉

(a) 事業所得の金額 △一二〇〇万六二一六円

事業所得の金額の計算根拠は次表のとおりである。

〈省略〉

〈1〉 総収入金額 六八七万三九六九円

原告が申告した総収入金額七万三九六六円に、山本正博(以下「山本」という。)から受領した六八〇万円(以下「本件金員」という。)を加算した額である。

原告は、本件金員を山本の開設した流山クリニック(以下、同じ。)からのいわゆる税引後の手取給与であるとして、(本来、給与支払報告書は給与の支払者が作成して関係市区町村へ提出するもので、確定申告書には給与所得の源泉徴収票を添付することとなっているのにもかかわらず)、給与所得の収入金額一七四〇万五七一〇円、源泉徴収税額一〇六〇万五七一〇円であるとする給与支払報告書を山本に無断で作成して確定申告書に添付して申告した。

本件金員は、事業所得の総収入金額に算入されるべきものであり、山本は、これを給与として原告に支払っていないので所得税の源泉徴収も行っていない。

本件金員が事業所得である根拠については、後記3で詳述する。

〈2〉 売上原価の額(原告が申告した金額) 一万九九七一円

〈3〉 必要経費の額(右に同じ) 一八八六万〇二一一円

(b) 給与所得の金額 一三三二万四一三八円

給与所得の金額の計算根拠は次表のとおりである。

〈省略〉

〈1〉 収入金額 一五六五万六九八八円

原告が申告した収入金額三三〇六万二六九八円から、原告が流山クリニックから給与として支払いを受けたとして申告している収入金額一七四〇万五七一〇円を差し引いた額である。右金員が実際に支払われた事実はない。また、流山クリニックから原告が実際に支払われた本件金員の性質については前述のとおり後記3で述べる。

〈2〉 給与所得控除額 二三三万二八五〇円

所得税法(昭和五九年法律第五号改正前のもの)二八条三項の規定により算出された金額である。

(c) 所得控除額 二八七万五三二〇円

所得控除額の内訳は次表のとおりであり、いずれも原告の申告額である。

〈省略〉

原告はこの他に原告の妻中山睦(以下「睦」という。)を控除対象配偶者であるとして配偶者控除の適用をして申告しているが、睦には流山クリニックから給与所得の収入金額が八〇万円あって、これから給与所得控除額五〇万円を控除すると給与所得の金額は三〇万円となるところ、この金額は、所得税法(昭和五九年法律第五号改正前のもの)二条一項三三号に規定する控除対象配偶者の所得制限額を超えるので、配偶者控除は認められない。

(d) 源泉徴収額 四〇〇万八六四一円

原告が申告した源泉徴収額一四六一万四三五一円から原告が流山クリニックの源泉徴収額であるとする一〇六〇万五七一〇円を差し引いた額である。右金額が現実に源泉徴収された事実もないし、また、されるべきでもない。

(2) 本件更正処分の適法性

被告が本訴において主張する原告の還付金の額に相当する税額は、四〇〇万八六四一円であり、本件更正処分による還付金の額に相当する税額も四〇〇万八六四一円と被告の主張額と同額であるから、本件更正処分は適法である。

(二) 本件重加算税の賦課決定処分の根拠及び適法性

(1) 本件重加算税の賦課決定処分の根拠

原告が山本から受領した六八〇万円は、原告の事業所得の総収入金額に算入されるべきものであるところ、原告はほしいままに給与支払報告書を作成して流山クリニックから一七四〇万五七一〇円の給与が支払われ、一〇六〇万五七一〇円の所得税が源泉徴収されたように仮装し、それに基づき確定申告書を提出したものであるから、これは、国税通則法(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)六八条一項が規定する納税者がその国税の課税標準又は税額等の計算の基礎となるべき事実の一部を仮装し、その仮装したところに基づいて納税申告書を提出したものである。

(2) 本件重加算税の賦課決定処分の適法性

ところで、本件重加算税の基礎となるべき税額は、本件更正処分をしたことに伴い納付すべき本税の額八八六万三七〇〇円のうち八七五万八〇〇〇円であり、右重加算税の基礎となる税額(国税通則法一一八条三項の規定に基づき一万円未満は切捨て)に一〇〇分の三〇の割合を乗じて計算した重加算税額は二六二万五〇〇〇円であって、これと同額の重加算税を賦課決定(裁決後の額)した本件処分は適法である。

3  本件金員の事業所得性について

(一) 原告が山本経営の流山クリニックの診療に従事することとなった経緯

(1) 山本は、昭和五六年三月、流山市流山一七二五番地一所在の診療所流山クリニックを開設して経営していたが、昭和五七年五月ころになって経営困難に陥り、同診療所を売却する旨の広告を出した。

同年六月ころそれを知った原告は、山本と買収交渉をしたが、条件が折り合わなかったため、原告は山本に対し、共同経営の申し入れをした。その内容は、

〈1〉 流山クリニックは整形外科の診療に、また、原告が開院する予定の(昭和五七年一二月開院)中山クリニックは内科の診療に、それぞれ立地条件等から適しているとして、原告と山本がそれぞれの専門を活かして流山クリニックの院長には原告が、中山クリニックの院長には山本がなること。

〈2〉 中山クリニック開院後は、収益は原告と山本とで折半することとし、それまでの間原告が受け取る額は、原告が流山クリニックで診療することにより流山クリニックの診療収入の増加が見込まれるので、その増加部分の三〇パーセントとすること。

であった。

山本は、共同経営とすることについては同意したが、収益の配分については明確な回答をしなかった。

(2) 原告は、昭和五七年八月一日、当時管理者として勤務していた医療法人ますみ会京成医院(以下「京成医院」という。)の管理者をやめ、同年八月一〇日から一一月二五日までの間流山クリニックの診療に従事した。

(3) 流山クリニックの診療に供する土地建物、医療器具及び運営資金等については山本が提供し、原告は手術機材や医薬品材料の一部を提供した。原告は、これらの代価の支払いを要求していない。

(二) 原告参加後の流山クリニックの状況

(1) 原告は、流山クリニックの、医療法八条に基づく診療所開設者、同法一〇条一項に基づく管理者となり、また流山クリニックの院長名義の名刺を作って対外的にも右診療所の代表者として振舞った。

(2) 流山クリニックは、内科(山本の専門)の医院であったが、原告が診療に従事するようになってからは、原告の専門である整形外科を強く前面に出し、原告の企画により新たに「流山クリニック整形外科」の看板を取り付けたり、チラシを配付したり、前記のとおり院長として消防署に出向いて救急患者の受け入れを宣伝したりした。

これにより患者数は増え、従来休診日であった日曜祭日も診療日とするようになった。

(3) 原告は、看護婦及び事務員の採否を決定したり従業員の給与の増額につき山本と話し合う等資金及び経理面を除き、流山クリニックの診療業務以外の運営業務にも関与した。

(4) 原告の流山クリニックでの診療の従事時間は不規則であり、診療開始時刻の午前九時よりも大幅に遅れることも多かった一方、深夜でも診療に従事した。

また、原告は流山クリニックの診療に従事し始めた以降の昭和五七年八月中旬から同年九月下旬まで、原告が管理者を辞めたために人手不足が生じた京成医院に出向いて、毎週一回程度診療に従事するとともに、山本に対しても同医院で診療するよう要請し、山本はそれを受けて同八月中旬から同年九月末までの間、毎週二日か三日程度、総日数で二〇日程度従事した。

(三) 本件金員の支払い時期等

(1) 本件金員を含む山本から原告に対し支払われた金員の支払い時期及びその金額は、次表のとおりである。

〈省略〉

本件金員の支払い時期及びその金額については、原告と山本との間に確定的な合意はなく、その時々の原告の資金需要及び山本の支払い能力等を勘案して両者の合意のもとに支払われた。

原告が右のような支払い条件に合意したという事実は、原告が流山クリニックの運転資金面においても経営者としての立場から積極的に配慮していたことを示すものである。

(2) 原告は、昭和五七年一二月末ころ、山本に対し、自分が流山クリニックで診療に従事したことによって診療収入が増加したことを理由に、自己の見積もりによる増収額に三〇パーセントを乗じて算出して得た金額八五〇万円が原告が診療に従事した期間の配分を受けるべき金額の総額であるとして、支払いを請求した。

そして原告は、昭和五八年一月六日、流山クリニックの事務長で山本の姉である山本みほ子(以下「みほ子」という。)から一七〇万円を受領した際、「昭和五七年八月分より五七年一二月分までの報酬として金六八〇万円也を受領致しました。以後この件については一切金銭的請求は致しません。」との念書を同人に渡した。このとき、原告はみほ子に対して、これとは別に功労金を支払うことを一筆書いてくれと要求し、みほ子はこれを断りきれずに、右念書に同人名で「なお、功労金については検討いたします。」との文書を書き加えた。

以上の経緯で、山本から昭和五八年二月一日に、原告に対して支払われた一二〇万円は、同年一月六日以降原告から何度も功労金の支払いを要求されていたことからこれを決着するために支払われたものである。

(3) 所得税法上その年分の各種所得の金額の計算上収入金額となる金額又は総収入金額に算入される金額は、別段の定めがあるものを除き、その年分において「収入すべき金額」であり、この「収入すべき金額」とは「収入すべき権利の確定した金額」である(最判相手方四〇年九月八日)。

そこで、本件金員のうち、昭和五七年八月末に支払われた三〇万円を初回として同五八年一月六日に支払われた一七〇万円までの計九回分、合計額六八〇万円は、原告が昭和五七年八月一〇日から同年一一月二五日までの間流山クリニックの診療に従事し受領したものであるから、その帰属年分は昭和五七年分の収入金額となる。

これに対し、昭和五八年二月一日に受領した一二〇万円は、診療に従事したことの報酬として支払われたものではなく、原告が昭和五八年一月六日以降に新たにその支払いを要求したことによって支払われたものであって、その権利が確定したのは昭和五七年中であるということはできず、その帰属年分は、現実収入のあった昭和五八年分の収入金額となる。

(4) 山本は、流山クリニックに勤務する看護婦に支払う給与については、所得税法一八三条に基づき所得税の源泉徴収を行い税務署に納付しているのに対し、本件金員の支払いにあたっては所得税の源泉徴収は行っていない。

また、山本は自己の昭和五八年度の申告に際し、税理士とも相談の上、流山クリニックの収入金額及び必要経費全額について一人で申告した上、看護婦らに支払った給与については給与として、原告に対して支払った本件金員は研究研修費として申告額から除外している。

これらの事実は、山本が本件金員を給与として認識していなかったことを示している。

(四) 社会保険診療報酬の所得計算の特例

医療保健業の収入の大部分を占める社会保険診療報酬については、租税特別措置法において特殊な計算方式を認めている。

すなわち同法二六条では、収入金額から実際に要した必要経費の金額を控除して計算する実額計算に代えて、収入金額に応じて一定の所得率を収入金額に乗ずることにより計算する標準計算方法を選択的に認めている。

同法における収入金額別の所得率(一〇〇パーセント-経費率)は次のとおりである。

〈1〉 二五〇〇万円以下の金額 二八パーセント

〈2〉 二五〇〇万円を超え三〇〇〇万円以下の金額 三〇〃

〈3〉 三〇〇〇万円を超え四〇〇〇万円以下の金額 三八〃

〈4〉 四〇〇〇万円を超え五〇〇〇万円以下の金額 四三〃

〈5〉 五〇〇〇万円を超える金額 四八〃

つまり、事業所得者は、一般的には、収入の増大と経費の削減とによって所得の増大・赤字の縮小を図るという形で自己の計算と危険において当該事業を営むところ、医療保健業においては、収入の増大を図れば、前記所得率に応じた所得が通常得られるという保証ないし裏付けが社会制度として認められているのである。

そして、流山クリニックの経営について、原告と山本は協議のうえ前記のとおり収入増大をはかる諸企画を実行し、また経費の圧縮、設備・資材の面でも協力し、運営資金面でも配慮する等して山本と共同して経営にあたったといえる。

四  抗弁に対する認否

1  1の本件処分の経緯は認める。

2  2の本件処分の根拠及び適法性の(一)本件更正処分の根拠及び適法性の(1)本件更正処分の根拠について

(一) (a)事業所得の金額及び〈1〉総収入金額は否認する。被告が原告の申告した総収入金額七万三九六六円に加えた本件金員六八〇万円は事業所得ではない。原告が流山クリニックの給与支払報告書を山本に無断で作成して申告した事実は認める。

(二) 〈2〉売上原価の額及び〈3〉必要経費の額は認める。

(三) (b)給与所得の金額及び〈1〉収入金額は否認し、〈2〉給与所得控除額は明らかに争わない。原告は流山クリニックから給与として手取金額六八〇万円、税法所定の源泉徴収税額を計算して一七四〇万五七一〇円を得たものである。

(四) (c)所得控除額については明らかに争わない。

(五) (d)源泉徴収税額及び山本が源泉徴収をしていないとの事実は否認する。本件金員は給与所得であり、山本は一〇六〇万五七一〇円の源泉徴収義務を負うものである。

(六) (一)の(2)本件更正処分の適法性並びに(二)本件重加算税の賦課決定処分の根拠及び適法性は争う。

3  3の本件金員の事業所得性について

(一) (一)経緯について

(1) (1)のうち、第一段落は認め、以下は否認する。実際の経緯は次のとおりである。

原告は昭和五六年には京成医院で勤務医をしていたが、元は長野県で開業していたので再度開業したいと計画し、診療所の新設・既存診療所の買収の両面から物色していた。

原告は昭和五七年三、四月ころ流山クリニックを知り、山本と買収交渉に入った。山本は、診療所を売却する理由について、健康保険の不正請求をして保険医の指定を取り消された結果経営困難に陥ったためと述べていた。原告は右事実を客観的に確認はしなかったが、山本の言を信じて交渉にあたった。しかし交渉は価格的に折り合わず、いったん打ち切られた。

ところが、同年六月ころ再び山本から、流山クリニックを共同経営しないかとの話があった。原告は、山本が保険医指定を取り消されて自分の名義では経営できず、原告の名義を使用するために共同経営の申し出をして来たのであり、原告の名義が不可欠である以上交渉は強い立場で臨めると考え、山本と強気で交渉して、流山クリニックに原告の専門である整形外科色を強く出すこと及び原告の取り分は増収分の三〇パーセントであることを認めさせた。

なお、中山クリニックは第三者の立案した計画に原告が途中加入したものであり、原告がこの計画に参加した時期は流山クリニックで診療に従事した後である。したがって、山本との交渉において中山クリニックの件は要素となっていない。

また、「共同経営」の合意といっても、経営的、法律的に全くの素人である医師を両当事者として用いられているのであるから、その用語によって実態が決定するわけではない。後述のとおりクリニックの金銭、経理はすべて山本が掌握し、収入に対する経費はすべて山本に帰属しており、原告の取り分は「増収分」の三〇パーセントであって増加した利益の三〇パーセントでないことも示すとおり、原告には何ら自己の計算と危険は存在しない。

(2) (2)の事実のうち、原告が昭和五七年八月一日に京成医院の管理者を辞めたとの事実は否認し、その余は認める。

ただし、原告の流山クリニックにおける診療の終期は一一月末ころである。

(3) (3)の事実は認める。しかし、勤務医であっても使い慣れた資材等を持ち込むことはあるのであって、これによって共同経営となるものではない。むしろ、流山クリニックの土地建物と原告が持ち込んだ若干の資材を除く診療用の諸設備はすべて山本の所有に属し、看護婦・事務員等の従業員はすべて山本を使用者としていた。また、山本は流山クリニック所在の建物に居住し、原告は葛飾区から自動車で通勤していた。そして原告が患者を増加させるために行った宣伝のための費用や原告が診療行為にあたり使用する薬品、設備等の費用、従業員の給与はすべて山本の負担であった。つまり、原告は労務の提供以外全く出資に該当するものはしていないのである。

(二) (二)状況について

(1) (1)の外形的事実は認める。しかし、原告がこのような各種届け出をしたのは保険医の指定等を得るためのものであり、共同経営とは関係ない。また、原告の名義で各種届け出をした以上原告が対外的に院長を名乗るのは当然である。

なお、山本は原告と別れてからも他の医師の名義で流山クリニックの経営を続けている。

(2) (2)の事実は、日曜祭日を診療日とした理由を否認し、その余は認める。しかし、前述のとおり院長名を名乗ったのは届け出との関係であり、特に消防署に対し救急患者を来院させるよう運動する場合に保険医の取消しを受けた山本が院長であることは都合が悪かったのである。また原告が行った各種宣伝の費用はすべて実質的院長である山本が負担している。

(3) (3)の事実は、原告が診療業務以外の運営業務に関与したとの事実は否認し、その余は認める。

ただし、被告主張以外の流山クリニックの業務、たとえばまず保険の請求事務等には原告は関与せず、原告名の銀行口座に入金した金員は山本が保持管理して原告には全く知らせなかった。また、薬品の仕入れ業務は、薬品の仕入価格と小売価格の差額が開業医の重要な収入源であるが、これについても原告は関与していない。およそ金銭の収支はすべて山本が行い原告には事業者としての独立性は全くなかった。

看護婦の採用については、原告が流山クリニックに参加した当時看護婦が一人もいなくて八月中は睦が勤務したが手不足のため、原告が山本に増員を申し出て山本の了解を得、山本が募集行為を行い、原告が面接して採用を決定し、給与等の待遇面は山本が決定したものである。

従業員の給与の増額については、原告と山本が話合ったと言っても、前述のとおり原告は流山クリニックの資金及び経理面には一切関与せず、増額した場合の採算面も知らなかったので、それは単に山本に対する助言、提案であり、決定は山本の専権であった。

(4) (4)の第一段落の事実は認める。ただし、診療状況は、内科の患者が来院すれば山本が、整形外科は原告がそれぞれ診療するというものであった。また、医師の性格・生活態度によって勤務時間の不規則な者はいるのであり、原告の場合不規則ではあっても、流山クリニックにおいて診療に従事して他では診療せず(京成クリニックでの診療は山本の承諾を得ていた)ポケットベルを所持して山本の呼び出しに応ずるという時間的場所的拘束を受けている。さらに時間外の深夜診療をしたのは増収のため救急患者を受け入れたためで、受け入れ自体は山本の了解を得て決定したものである。

第二段落以下の事実については否認する。実際は以下のとおりである。原告は昭和五七年八月に流山クリニックの開設者・管理者となったが、京成医院の後任者が見つからず、管理者は昭和五七年一〇月三〇日に退職するまで続け、診療も続けた。そこで八月一〇日ころからの原告の流山クリニックでの診療は、京成医院が週五日の勤務であるためその休診日である日、木曜日及び祭日に行われた。その後患者が急増したため、原告は山本に依頼し毎週二、三日の割合で京成医院での診療を行ってもらい、原告は流山クリニックで週四、五日の診療を行うようになり、これが原告の京成医院退職まで継続した。

(三) (三)本件金員の支払い時期等について

(1) (1)のうち本件金員等の支払い時期及びその金額は認め(ただし、昭和五七年九月末の六〇万円のうち一〇万円は立替金の返還を受けたものである。)、その余は否認する。

(2) (2)のうち第一段落の事実は否認し、第二段落の事実は認め、第三段落の事実は不知である。

右(1)、(2)については実際の趣旨、経緯は次のとおりである。

流山クリニックにおける原告の取り分は増収分の三〇パーセントと定められていたが、八月分の診療報酬(その大部分は各種健康保険の支払い基金からの振込入金であって、この入金は診療後一か月毎に各支払い基金に対して請求し、約一か月半後位に銀行振込によって入金となるのが通常である。)は一〇月下旬に入金になるので、入金の時点で支払われることとなっていた。しかし原告は金が必要であったので、前借的な趣旨で八月末、九月初、九月末と山本から金員を受領した。このため各受領金額は原告の需要と山本の支払い能力等を勘案して決められたのである。

一〇月下旬になって原告が山本に対し原告の取り分を精算するよう求めると、山本は未だ入金になっていない等と述べてこれを拒んだため、やはり前記同様に前借的趣旨で金員を受領した。

一一月になって確実に診療報酬が支払われた段階になると、山本は原告の取り分は増収分の三〇パーセントではなく、定額の給料制としたい旨言ってきた。これにより両者の間に紛争が生じたが、決着を見ないまま一一月六日取りあえずとの趣旨により金員が支払われた。

この紛争は一一月下旬になって再燃し決着しないまま、給料であるとしても一五〇万円程度になるという暫定的合意のもとに一一月二五日に一五〇万円を受領した。

原告は右紛争により流山クリニックでの診療に嫌気がさして診療をやめ、そのころ現在の中山クリニックの計画に加入したが、山本に対しては増収額の三〇パーセントの要求を続け、一二月四日及び二〇日にも金員を受領した。

一二月末ころ原告は増収分の三〇パーセントを二一六〇万円と見積もり、ここから既に受領いた五一〇万円を差し引いた一六五〇万円を山本に請求した。これに対し山本の方から給料の残り一七〇万円を支払うとの回答があった。ここで原告は税理士から、山本の主張を認めて給料であるとすれば山本には源泉徴収義務があり原告の受領した金員は手取り金額であり総額は原告の請求金額と大差なくなる旨の示唆を受け、紛争を早期に集結させる気になり、昭和五八年一月六日の決着となった。

その際原告は給料制であれば、流山クリニックの増収について原告の功労が認められるべきであるとして退職金の趣旨も含めて功労金の支払いを求め、認められた。

(3) (3)については明らかに争わない。

(4) (4)については否認する。前述のとおり本件金員が給与である以上山本は源泉徴収義務を負うものであり。山本が本件金員を税理士とも相談の上利益の分配としてではなく研究研修費として申告している事実は本件金員を共同経営者に対する利益の分配としては考えていなかったことを示している。

第三証拠

本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから引用する。

理由

第一請求原因1の事実については当事者間に争いがない。

第二抗弁について

一  抗弁1(本件処分の経緯)並びに同2の(一)本件更正処分の根拠及び適法性の(1)本件更正処分の根拠の(a)事業所得の金額のうち、〈2〉売上原価の額、〈3〉必要経費の額及び原告が山本に無断で給与支払報告書を作成して申告した事実については当事者間に争いがなく、(b)給与所得の金額のうち、〈2〉給与所得控除額、(c)所得控除額については明らかに争わないので自白したものとみなす。

二  抗弁3の(一)経緯の(1)のうち山本が昭和五六年三月流山クリニックを開設して経営していたこと、同五七年五月ころになって経営困難に陥り同診療所を売却する旨の広告を出したこと、(2)のうち原告が流山クリニックの診療に同年八月一〇日から一一月末ころまで従事したこと、(3)の流山クリニックの診療に供する土地建物、医療器具及び運転資金等については山本が提供し、原告は手術機材や医薬品材料の一部を提供し、その代価の支払いを要求していないこと、(二)状況の(1)の原告が流山クリニックの医療法八条に基づく診療所開設者、同法一〇条一項に基づく管理者となり、流山クリニックの院長として対外的に診療所の代表者として振舞ったこと、(2)のうち従来山本の専門の内科中心であった流山クリニックは原告が診療に従事するようになってからはその専門の整形外科色を強く前面に出し、原告の企画により新たに「流山クリニック」整形外科の看板を取りつけたり、チラシを配付したり、原告が院長として消防署に出向いて救急患者の受入れを宣伝したりしたこと、従来休診日であった日曜祭日も診療日としたこと、(3)のうち原告が看護婦及び事務員の採否を決定したり従業員の給与の増額につき山本と話し合う等したこと、(4)のうち原告の流山クリニックでの診療の従事時間は不規則であり、朝が遅い一方深夜も行ったこと、八月以降も(終期については争いがある)原告は京成医院での診療を続け山本も原告の依頼を受けて右医院で週二、三日の割合で診療を行ったこと、(三)本件金員の支払い時期等の(1)本件金員を含む山本から原告に対し支払われた金員の支払い時期及びその金額、原告が昭和五八年一月六日にみほ子から一七〇万円を受領した際念書を渡したが功労金の支払いにつき一筆書いてほしいと要求し、みほ子がその旨書き加えたことについて当事者間に争いがない。

三  抗弁についての当事者間の争点は、本件金員が事業所得か給与所得かということであるので、以下検討する。

1  原告と山本が流山クリニックを共同経営するに至った状況について

前記二の当事者間に争いのない事実に成立に争いのない乙第一号証の三、第二号証の二、第三号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第二号証の一、二、乙第五号証、第六号証の一、二、証人山本及び証人みほ子の各証言により真正に成立したものと認められる乙第二号証の一、証人山本の証言により真正に成立したものと認められる乙第四号証、前記各証言、原告本人尋問の結果を併せ勘案すると、以下の事実が認められる。

原告は昭和五七年当時京成医院の勤務医をしていたが、以前長野県で開業していたため再び開業したいと考え、東京周辺の診療所を物色していた。一方山本は昭和五六年三月に開業した流山クリニックの経営がうまくいかず同五七年五月ころ診療所売却の広告を出したところ、原告はそれを人づてに聞いて山本と買収交渉に入った。

買収交渉は価格の点で折り合いがつかずいったん物別れとなったが、今度は共同経営の話が持ち上がった。原告は、山本から経営不振の原因は患者が集まらなかったことと保険の関係でトラブルがあったことであると説明を受けたため、患者を増やすためには立地条件の関係で流山クリニックには原告の専門である整形外科が向いており救急患者の受け入れ等の方策をとるべきであると説明して山本もこれを了承した。この際、現在原告が経営している松戸のクリニックの話題が出て、原告は山本にこちらは内科の老人専門医院に向いていると述べ、山本に将来そちらは自分が中心になって経営していくことになるものだと理解せしめた。

ここで利益の分配については、原告は、自分が加入することによって増収する収入の三〇パーセントを要求し、山本はこれに対し増収がどの程度になるか分からず自分が損をすることになるのでは困ると考えて明確な回答をしなかった。そこで原告としては同意が得られたものと考えて流山クリニックでの診療を開始し、山本としてははっきりした約束はしていないものと考えていた。

山本は、顧問税理士から、診療所の土地建物はすべて山本の所有で従業員への給与や薬品等の費用は従前どおり山本が負担し、原告は整形外科用の機材をいくらか持ち込み診療行為の労務を提供しているだけであるので、共同経営である以上、その法的形態、出資の分担や前記のとおり曖昧にされている利益の分配、精算の方法等を明確にした方が良いと忠告され、共同経営の契約書草案を書いてもらい、これを原告に見せて話し合おうとした。しかし原告は、理由は不明であるが話し合いに応ぜずそのまま診療行為を継続し、山本も強く要求せずに放置してしまった。

前記共同経営に関する話合いの結果、流山クリニックの各種届出は原告名にして原告が院長として対外的にも積極的に消防署との折衝にあたり、夜間や救急患者の診療にも従事するなどして原告が中心になって整形外科医院としての性格を強めていった。

また、当初原告は当時勤務医をしていた京成医院の休診日である木、日曜日に流山クリニックで診療をしていたが、宣伝の結果整形外科の患者が増えたため、原告が流山クリニックでの診療日を増やすために、話合いの上原告の代わりに山本が京成医院で週三、四日診療するようになった。山本は原告が京成医院を一〇月三〇日でやめるまでの間京成医院で合計二〇日間ほど診療したが、これについては、共同経営である以上当然協力すべきものと考えて、報酬等を要求していない。原告は流山クリニックの診療開始時間である朝九時よりも遅く来る一方深夜まで診療に従事し、右診療所に来ていない時もポケットベルを持参していて山本の手に負えない患者が来た時には駆けつけるようにしていた。さらに、流山クリニックには看護婦がいなかったので、まず原告の妻睦が看護婦として勤務し、つづいて看護婦の採用を行い、さらには従業員らの給料の増加を決定した。これらの決定は原告が経営者としての判断で行った。

以上によれば、原告と山本とは流山クリニックの共同経営の合意をしたが、出資及び利益の分配についてははっきりした合意は成立せずそれぞれの思惑が食い違ったまま、八月以降原告は共同経営の意思をもって診療に従事し、流山クリニックの運営に関与するに至ったものと認めるのが相当である。

2  利益の分配をめぐる原告と山本との紛争の経緯について

前掲甲第二号証の一、二、乙第二号証の一、第三号証、成立に争いのない乙第一号証の一、二、原本の存在及び成立に争いのない乙第二号証の四、五、七、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三号証、証人みほ子の証言により原本の存在及び成立が認められる乙第二号証の六、原本の存在については争いがなく証人みほ子の証言により真正に成立したものと認められる乙第二号証の三、官公署作成部分については成立に争いがなくその余の部分については証人山本の証言により真正に成立したものと認められる乙第七号証、前記各証言、原告本人尋問の結果によると、以下の事実が認められる。

原告は診療当初から増収分の三〇パーセントの分配を主張した。これに対し山本は保険診療報酬の払い込みがまだであり、正確な金額がわからないからと述べて拒否し、原告は必要な金を山本の都合も考えて適宜支払いを受ける形となった。山本は前記のとおり増収分の三〇パーセントを支払うとはっきり約束したつもりもなく、その点について曖昧な返答をしたものである。このような支払いが八月から一一月まで続いた。その内訳は、〈1〉八月末に三〇万円、〈2〉九月初に五〇万円、〈3〉同月末に六〇万円、〈4〉一〇月二八日に五〇万円、〈5〉一一月六日に五〇万円、〈6〉同月二五日に一五〇万円である。この間の医薬品等の費用や前記のとおり新たに採用したり昇給させたりした従業員の給料はすべて山本の方で負担している。

原告が京成医院を完全に辞めて流山クリニックでの診療に専念するようになった一一月に、原告はこの時点では確実に診療報酬の振込があったと考えて分配を要求した。診療報酬は埼玉銀行三郷支店の原告名(流山クリニックの肩書がついている)口座に入金されていたが、口座の管理は事務長のみほ子が行っていて原告は正確なところを知らず、患者数等から増加分を独自に概算して請求した。これに対し、山本とみほ子はそんなに増加していないと言って原告の要求を拒否した。両者の間には増収分がどの程度であるかについて押し問答があったが、原告は山本とみほ子に対し原告に右銀行口座の通帳や流山クリニックの帳簿類を見せる等して収入の詳細を明らかにするようには要求しなかった。

原告は自分が考えている程度の分配がなかなか得られないので意欲を失い、一一月末で診療はやめたが一二月に入っても金員の要求は続け、同月四日に五〇万円、同月二〇日に七〇万円の支払いを受けた。原告は一二月末には増収分を一〇〇〇万円以上と見積もって要求し、最終的には八五〇万円を要求した。山本は原告の要求は過大でこれ以上応じられないと考え、昭和五八年一月六日に一七〇万円の支払いをして原告と手を切ろうとしたが、原告は功労金名目での追加支払いを強く要求し、山本としても実際に昭和五七年八月から一二月までの前年度に比しての増収分が約二六五五万円(その三〇パーセントは約八〇〇万円)となるので、総額で八〇〇万円支払うのはやむを得ないと考え、同五八年二月一日に従前の支払い合計額を除く、一二〇万円を支払った(以上の山本から原告に対する本件金員を含む金員の各支払い日、各支払い金額については当事者間に争いがない。)。

原告は本人尋問において、最終的に八〇〇万円で納得するについては、本件金員を給料の手取り額として山本の方で源泉徴収義務を負うものとの合意ができたからであると述べるが、右供述は曖昧であり、山本が源泉徴収票を作成せずに原告が勝手に給与支払報告書を作成したという事実(当事者間に争いがない。)に照らすと措信できず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。

また、証人みほ子の証言によれば、山本は本件金員を自己の申告において原告の給与とはせず、研究研修費とし、源泉徴収もしていないが、他の従業員に対する報酬については給与として源泉徴収を行っている事実が認められるが、これは山本が本件金員を給与とは認識していなかったからであると考えられる。

以上認定の経緯をみると、原告は共同経営の意思をもって診療にあたり、利益の分配を請求し、その分配額について山本と紛争が生じたものであると認められる。

3  なお、前掲甲第二号証の二、証人山本及び同みほ子の各証言によると、原告が流山クリニックを辞めた後も外科系の患者が多く、山本は外科系の知識経験はあまり有していなかったので、外科系の医者を勤務医として迎えることとし、玉渕嘉郎医師、次いで八木禧徳医師を雇い、それぞれ昭和五八年三月一五日から同五九年三月三一日まで、同年四月一日から同六〇年二月一八日までの間右医師らを開設管理者として届出をし、保険診療報酬の振込口座も右医師らの名前の口座を作ったという事実が認められるが、右の各証拠によると、右医師らの名義を使用したことは原告の場合と同様であるが、これはいったん外科系の診療所として名前が通ってしまったために対外的にも右医師らを前面に出した方が良いと山本とみほ子が考えたためであり、右医師らの報酬については玉渕医師に月二二万円、診療収入が増大した八木医師に月一五〇万円の給与をそれぞれ税金や社会保険料は山本の方で差し引いて支払い、申告においても給与として申告している事実が認められるのであるから、右医師らは原告と異なり、流山クリニックの運営には関与せずその診療業務にのみ従事する勤務医として勤めているものと認められる。

4  また、原告は、出資のほとんど及び費用の負担の全てを山本が行い、原告は持ち込んだ機材等と労務提供以外には出資をしていないし、原告の報酬は「増収分」の三〇パーセントであって利益の増加分の三〇パーセントではないから、原告は「自己の計算と危険において独立して業務を営む者」に該当せず、本件金員は事業所得ではないと主張する。

しかしながら前記1で認定したとおり、原告は持ち込んだ整形外科用機材等と労務提供以外の出資をしておらず、出資のほとんど及び費用の全てを山本が負担しているが、右のような原告と山本との出資及び費用の負担の不均衡については、まさに山本側では顧問税理士の指摘を受けてその是正や法的形態の明確化を原告と話合おうとして契約書の草案まで用意したのに、原告が理由もなく約束の日を反故にしたため話合いが進まないまま事実上診療行為を続け、従業員の給与や費用は山本が従来どおり支払ってきたものであり、また原告が「増収分」の三〇パーセントの分配を要求したとの点も原告が損失を負担しないとの明確な意図をもって述べているとは認められず、山本の方は自分がかえって損失を被るのでは困ると考えてはっきり返事していない事実が認められ、また、真に危険を避けたいのであれば毎月定額の給料制をとるのが合理的であると考えられるから、原告の主張は失当である。

さらに医師の場合、租税特別措置法二六条において医業又は歯科医業を営む個人の社会保険診療についての所得の計算方法の特例があって、実額計算に代えて収入金額に応じて一定の経費率を収入金額に乗ずることにより計算する標準計算方法を選択できるため、収入が増加すればするほど税制において優遇され、利益も増加しやすい関係にあり、原告は、経験的に、収入を増やせば利益が増えると考えて前記認定のとおり積極的な患者誘致をして増収をはかったものと推認される。

四  以上の認定の経過に照らすと、本件金員は原告が山本と共同で流山クリニックを経営する意思でその計算と危険において営んだ業務から生じた所得、すなわち事業所得であると認めるのが相当である。そして、これを前提として計算すると、還付金の額は四〇〇万八六四一円となるので、本件更正処分の根拠及び適法性を認めることができる。

五  また、本件重加算税賦課決定処分(審査裁決により一部取消された後のもの)については、本件金員が事業所得である以上、給与支払報告書を山本に無断で原告が作成して提出したことは国税通則法(昭和五九年法律第五号による改正前のもの。以下同じ)六八条一項の納税者がその国税の課税標準又は税額等の計算の基礎となるべき事実の一部を仮装し、その仮装したところに基づいて納税報告書を提出したものであって重加算税を賦課されるべきものであり、右重加算税額の基礎となるべき税額は、本件更正処分をしたことに伴い納付すべき本税の額(別表C〈41〉)八八六万三七〇〇円(国税通則法一一九条一項により一〇〇円未満切捨て)のうち、誤ってしていた配偶者控除(別表A〈12〉)二九万円をしないことにより新たに納付すべきものとなった税額即ち、本件金員を給与所得とし、かつ配偶者控除を正当に行わなかったとすると課税される所得金額の総所得八一七万八〇〇〇円(別表A〈16〉の七八八万八〇〇〇円に別表A〈12〉の二九万円を加算した金額)に対する税額一八四万七六四〇円から別表A〈16〉の総所得七八八万八〇〇〇円に対する税額一七四万一九二〇円(別表A〈19〉)を差引いた税額一〇万五七〇〇円(昭和五七年当時の所得税法八九条一項、国税通則法一一九条一項)を減じた八七五万八〇〇〇円(国税通則法一一八条三項により一万円未満切捨て)であり、右金額に一〇〇分の三〇の割合を乗じて計算した重加算税額は二六二万五〇〇〇円となるので、右賦課決定処分は適法である。

六  したがって、本件処分は適法であり、抗弁は理由がある。

第三結論

本件処分は審査裁決により本件重加算税の賦課決定処分について当初の二六五万八〇〇〇円が二六二万五〇〇〇円に減額されている(審査裁決の事実については当事者間に争いがない。)ので、本件訴えのうちその減額された部分について取消しを求める部分は訴えの利益を欠いて不適法であるので却下し、前記のとおり被告の抗弁は理由があるので、原告のその余の請求は棄却し、訴訟費用の負担については行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上村多平 裁判官 難波孝一 裁判官 櫻井佐英)

別表 昭和57年分

氏名 中山敏雄殿

〈省略〉

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